伊勢太夫の墓(焼棟峠)

昔は有名な神社や寺院から、神仏の有難さを説き、敬神崇祖の心を深める目的で、布教師が、村里まで巡教していたといわれる。
伊勢大神宮からは「御祈禱師」(御師ともいう)高野山からは「高野坊」(聖様)と呼んだ布教師が各地へ巡歴していた。
江戸時代、御師のお金(路金)を狙って、何者かが之を射殺したと伝えられ、その霊を祀るお墓が焼棟味にある。
お墓の位置は峠頂上三叉路より稜線を五〇メートル程東に行った所、やや遊子谷に傾いた地形にある。
その墓碑は道賢禅定門墓、享保二〇卯天閏三月三日とある、高さ四〇センチ幅一八センチ台石もあって立派な石碑である。



