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鬼子の話 高田正茂談(明治三九年一一月二二日生)から聞く

鬼子の話 高田正茂談(明治三九年一一月二二日生)から聞く

上津賀の花ノ木の向って右の谷に田がある。もとは宅地だった。家は日浦の誓願寺へもって帰った。私がおばえてからはもうなかった。

鬼子がいつごろ生まれたかは想像するだけ。

生まれると歯がはえていた。いつ乳にかみつくやらわからんから、鍛冶屋ばさみではさんでのました。

三日か一週間うちで乳をのましていた。鬼子は節分の夜に言い置きをして家を出て行った。

自在を伝って天井へあがって、破風から出て行った。

「節分の夜にメシを三石三斗三升たいてくれ。絶対貧乏させん。」

その家では言い置きを守って、節分のたびに三石三斗三升のメシをたいて、外へ供っていた。その家はずっと金持ちであった。

あまりたくさんなので、減して三斗三升三合にして供えたけれども、翌朝きれいになくなっていた。

メシのなくなる間はその家は金持ちで豊かであった。

しかし三斗三升三合もたくのがいやになったので、三升三合三勺にへらした。

ところがそれからは来んようになった。

それからはその家はすたれてしまった。家族も絶えたのか、家まで売らなければいけなくなった。

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